■デジタル新技法を駆使した映像 本邦未公開/浮世絵春画の集大成
日本が世界に誇る絢爛たる文化遺産といわれる『浮世絵』。なかでも風景画や美人画とは別に『春画』はその素晴らしい芸術性にもかかわらず公序良俗の立場から、永い間、一般には封印されてきました。そのため博物館や美術館で見ることは困難で、極く一部の好事家の宝物として収集されてきました。この度、国際的な浮世絵研究の権威、故林美一コレクションがやっと一般に公開され、さらにDVD集として華やかに甦りました。まさに画期的な企画で、限定秘蔵版のため、早くも日本中から問い合わせが殺到しています。  北斎や歌麿をはじめ稀代の浮世絵師による、世界でも貴重な浮世絵の、もう一つの艶麗極美の官能芸術の神髄をじっくりと堪能できます。ぜひ、この機会に、あなたのご家庭でご所蔵ください。










本全集は、浮世絵春画の揺籃期から爛熟期までに活躍した絵師28人の名品269点(全6巻)を、2枚のDVDに収録した映像で観る世界初の画期的な企画です。
作品は、浮世絵研究の国際的権威・故林美一所蔵品を中心に、本邦初公開作品、その他埋もれた優品、艶本や肉筆の傑作を含め、国内外の秀逸作品を選定収録しております。
最新のデジタル技法によって原本を忠実に再現。印刷物では表せない鮮明優美な画像を鑑賞できます。また映像の特質を生かし、各巻にふさわしい時代背景や音などを入れました。さらに、絵に添えられた「詞書」の現代読み、あるいは男女の声優による臨場感あふれるナレーションによって、情景をよりリアルに楽しむことができます。
別巻として、登場する絵師とその作品を美術史、風俗史の観点からわかりやすく解説した全頁カラーの豪華解説本が付いています。
パッケージは、デザイナー長友啓典氏による永 久保存版にふさわしい斬新で強固な仕立てです。
日本が誇れる文化/芸術の鑑賞の喜び!!
私の父は哲学者だったが美しいものが好きで、ささやかなものだったが、浮世絵春画も集めていた。初めてそれをのぞき見したときはドキドキしたが、すぐにその色、その線、その秘められた物語に魅せられた。性の世界は底なしに暗く深いものであるとともに、無邪気で明るく滑稽な面も持っている。浮世絵春画は人間の生きる力、愛する力の源である。このうえなくおおらかに、しかも繊細に表現している。 浮世絵春画の名品は高級な芸術品で、決してみだらなものではない。殊に歌磨や北斎の名画は艶麗極美の芸術である。 イギリスやオランダの浮世絵展では、同時に春画が展示され公然と鑑賞されている。林美一氏の春画コレクションは優品揃いで、すでに書物として出版されているが、その名品の数々がDVD/ビデオとして世に出ることは、国内のみならず、国際的にも高く評価されると思う。
「浮世絵六大家」として知られる師宣は、浮世絵の元祖として、また揺籃期の浮世絵師として多くの傑作を残す。房州保田に生まれ、始め家業の縫箔刺繍に従事していたが、青年期に京都に出て絵を学んだといわれている。狩野派、土佐派といった絵画的伝統の中でもまれた師宣は、やがて万治年間(1658〜61年)江戸に出て新興の町人を顧客に吉原の遊女や芝居狂言を題材とした風俗画に力を注いだ。挿絵画家・師宣の誕生である。ことに木版画を応用してそれを質的に高め、版画を主とし、肉筆画を従とする浮世絵の伝統の基礎を築いた。師宣は初期浮世絵春画の代表的画家と言われる。師宣の秘画は限りなくエロスの夢を追求しているといわれる。その代表作品がここに収録した『恋の極み』であり『表四十八手』である。師宣によって初期風俗画の古拙さが浮世絵から消滅し、その豊かな天分ゆえに初期浮世絵の奔放さと力強さを存分に発揮したと評される。色彩的に黒と白主体の師宣春画はそれゆえエレガントでダイナミックである。
通称次兵衛、長永軒と号した。春信は先駆的改革者西村重長の門人と言われているが事実は不明である。しかし春信の成熟期の作品に最も影響を与えたのは、京都の浮世絵師裕信、そして江戸の清満、豊信であり、古典的な狩野派に学んだ形跡もあるとされている。また、16世紀、中国・清の仇英の鮮麗な美しさも取り入れているとされる。彼の作品は宝暦年間(1751〜1764)から発表されているが、彼が浮世絵史上注目されるのは、1765年に多色摺のいわゆる錦絵を最初に描いたことによる。当時の文人や優れた彫師、摺師の助力によって浮世絵は美しい色彩を持つようになり、技術の進歩と共に錦絵の時代が始まるのである。さらにそれまでの吉原風俗だけでなく、一般女性の日常生活からも取材し理想化した夢幻的な女性描写で、独自の美人画スタイルを築き上げた。この情調的なスタイルは終生変わらず、春信の春画にもそれを見ることができる。精緻を極めた錦絵の彩り、愛すべきエロスの虜たち、無邪気とも言えるフリーセックスの様は他に例を見ないであろう。『風流江戸八景』『風流座敷八景』他磯田湖龍斎も収録。
浮世絵の代表的美人画家。歌麿には父母、出生地など不明な点が多い。幼少より狩野派の画家鳥山石燕に学び本姓の北川、雅号豊章と称して1775年(安永4年)『四十八手恋所訳』下巻表紙絵以降、役者絵や黄表紙洒落本の挿絵などを発表した。1782年頃、名を歌麿と改める。歌麿の非凡な才能をいち早く認めたのが商才と気骨をうたわれた草紙問屋蔦屋重三郎である。同時に歌麿の才能は急速な進化を遂げ、美人画に専心して清長、あるいは重政、春章ふうの版画を描いた。また江戸狂歌の最盛期、天明・寛政年間には狂歌本を優れた挿絵で飾り、次々豪華絵本を蔦屋から出版した。歌麿の盛名が浮世絵界を圧倒したのは彼の美人画においての新しい創造である。寛政に入るや歌麿は、先人の模倣を脱却し独自の境地をそこに開き、美人画の様式を一変させたのである。一方、これら作品とは別に、枕絵の方にも精力的に取り組み、ここに収録する『ねがひの糸ぐち』『艶本葉男婦舞喜』などの傑作群を世に送り出した。前者は大歌麿による恋の楽しみ方百科とでも言おうか。これはロンドン大英博物館における「大歌麿」展で大評判になった名品である。また後者は息をのむほど美しく彩色された艶本作品で、本文は十返舎一九である。
江戸末期の大浮世絵師。江戸本所生まれ。葛飾はその生地から由来する。幼少時、幕府御用の鏡磨師中島伊勢の養子となるが、後に家を出て、貸本屋の丁稚、木版彫師の徒弟となり苦労の末、19歳のとき勝川春章の門人となり、翌1778年から作品を世に出した。天明・寛政年間のいわゆる模索時代は和漢洋各種の画法を広く学んだ。役者、美人、力士などの絵や、社会風俗の絵を出版したほか小説の挿絵や雑版画を描き、また戯作者を志して数編の小説も創作している。その間、画名を次々と変え、1798年北斎と改名してからは、新境地を開き、どんどん頭角を現した。特に洋風画法を取り入れた風景版画『富嶽三十六景』を完成させた。風景画への新しい視点、色面構成による印象表現や、独自の線的構成によって、末期浮世絵の世界に力強い新機軸を開くと同時に、フランス印象派の画家たちにも大きな影響を与えた。北斎が春画にも大いにその才を発揮していたことは良く知られている。今回収録した『縁結出雲杉』はその傑作のひとつ。これは文政5年北斎62歳のとき、特別限定版として刊行されたものである。『東にしき』は同じ北斎の『つひの雛形』との合成本が知られていたが、新発見の初版本により独自の画帖である。
寛政2年、もともと武士の家に生まれる。ちょうど歌麿が美人画浮世絵師として頂点を極めた頃である。父松本良輔は文と書と茶道をよくしたが、英泉自身も小説や戯作を何本か残している。しかし十代半ばにして絵画に興味を向けた彼は、最初についた師は浮世絵の画家ではなく狩野白珪斎であった。この師は、名目上は伝統の狩野派の画家であったが、比較的自由に風俗画も描いた。英泉は19歳の頃、菊川英山の門下に入る。英山は若くして浮世絵の世界で地位を確立し、この頃には歌麿の後継者と目されていた。英泉の最も活躍する頃は1810年代から1820年代前半の15年間と言われている。その頃の彼の美人画は師をはるかにしのいだだけでなく、歌麿に匹敵する、とまで言われた。英泉の描く女性はそのほとんどが遊郭の花魁や芸者であった。彼自身が色町によく通じ、その風俗風習や官能的な雰囲気に精通していたのである。後に英泉は中国絵画に魅せられ、また北斎を大いに賞賛する。しかし文政中期から天保年間(1824〜1844)にかけて、退廃浮世絵を代表した三人の絵師の一人(他に國貞、國芳)に数え上げられるが、北斎系の英泉が枕絵師として最も活躍が早い。ここでは武士を捨て、酒色におぼれた反骨の絵師が極彩色で描く閨房の出来事『艶本華の奥』、南蛮人などの珍しい交合図を含む異色の春画、柳川重信の『柳の嵐』など迫力満点の名作を収録。
江戸本所堅川の生まれ。幼少時から絵に親しみ、別に師につくことなく好んで役者絵をよく描いた。俗称庄五郎、後に改め角田庄蔵。若い頃の伝記資料によれば、神童的画才を賞賛しているが、1790年代(寛政年間)は役者似顔絵を表看板とする勝川一門や鳥居派に代わって豊春を総帥とする歌川一門、特に豊國が役者絵の新しいヒーローとして君臨した時代でもあった。そして豊國に入門したが、彼の画才に驚愕した師に、程なく師の一字をもらって國貞と名乗る。60年に渡る彼の長い浮世絵師としての出発点であった。國貞は以後大いにその才能を発揮、人気役者の似顔絵はもとより、挿絵にと縦横無尽に活躍した。また彼は、葛飾北斎、英泉一派がその当時独占を誇っていた枕絵本の世界に足を踏み出し、連年趣向を凝らした話題作、豪華本を発表し、江戸艶本の覇者としてゆるぎない地位を得たのである。その後國貞は二代目豊國を襲名、確たる地位を築き上げた。ここに収録した『吾妻源氏』は同じく『正冩相生源氏』『艶紫娯拾餘帖』と合わせて世に「國貞の三源氏」と呼ばれているものである。この豪華絢爛たる大作は物語性には乏しいが口絵の卓絶した彫摺技術の素晴らしさは絶品である。